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2009年4月16日 (木)

マヨネーズが美味いのは。

我が生活圏にて、桜の見ごろはすっかり過ぎましたが、毎年みっしりと詰まった柔らかで重たげな桜花の房を見ると、わしわしと掴んでもしゃもしゃ食べてみたくなるのは私だけでしょうか。

先ごろ。つ―か、関東で桜が見ごろの頃。
天然自然の儚げな美しさで人々を魅惑してやまない桜花を、こともあろうにエロピンクにライトアップするという、実に戯けた演出を施した都内某スポットを観劇の折に通りがかりまして。
加ト茶が「タブー」をバックに「ちょっとだけよ~~」と出てくるんじゃないかと思いました。(加藤さんと共演されているのに敬称略にて相すみませぬ。でも、サンつけたらおかしいのよ、ここ!!)
そんな気の毒な夜桜を眺めつつ、赤坂ACTシアターにて劇団☆新感線「蜻蛉峠」観て参りましたのです。

新感線については何しろいつも一見さんですので、いのうえ歌舞伎とクドカン演出の差とか細かいところはあんまり分からないのですけど、この不況にガンガン客入れてる興行の巧みを観たといいますか、ホントーに、なんでいつもあんなに面白いんでしょう。
……橋本じゅんさん……。

さておき。
「蜻蛉峠」冒頭からたいへんです。
あの堤真一サマが軍鶏の気ぐるみ姿でドタバタ劇を演じたり、古田さんはいきなり魅惑の下半身モロ出し。(←勿論フェイク)
主人公が冒頭から箱いっぱいのう●こを食べるは投げるわ、そらもうコント通り越して小学生男子の書いたマンガですか?状態。
……そういうの大好きなんですよね。大人として少しは引いてみせるとか、そういう分別、ないのかよ自分。

お下品通り越してもはやお下劣な幕開き、残虐な殺戮の場面にすら笑いを盛り込むのは悪趣味なのか、油と酢に卵を混ぜる試みなのか。
奇才クドカンの書き下ろしとはいえ、むしろその辺りも含め新感線っぽいのかどうかも分かりませぬが、能書きがどーあれ単体の作品として、好きか嫌いかと言ったらやはりこの作品私は好き。
非道く残酷で哀切、主人公の名前通りの漆黒の闇が、決して致命傷ではない細い穴を心臓に空けるような感覚。

主人公の名は「闇太郎」(古田新太)。
ある事件に巻き込まれて以来記憶が無く、蜻蛉峠で阿呆の振りをしながら何かを、誰かを、何十年も待ち続けている。
そこに通りかかった、旅役者の銀之助(勝地涼)。座長の妻と懇ろになった罰にナニを切られた色男の旅役者。大事な一物切り落とされても、根っからの女好きは直らず、ちっとも懲りない能天気な天然ど阿呆。
阿呆のフリとホンモノの阿呆同士?!意気投合した闇太郎と銀之助は、二人連れ立って夢の町、「ろまん街」へと向かう。
ところが二人が辿り付いた「ろまん街」は坊主も首を括るような荒れた街。先代ヤクザ、うずら親分の娘、お寸(高田聖子)とその旦那、立派(橋本じゅん)が率いる立派組と、お寸の弟、天晴(堤真一)率いる天晴組が、しょーのないショバ争いで毎日血で血を洗う抗争を繰り返している。
さて、ヤクザどもが闊歩する「ろまん街」では驚いたことに「闇太郎」は伝説の男として語り継がれている存在だった。
その昔、ろまん街に「大通り魔」という殺人鬼が現れ、街の人々は次々に、逆手に持った包丁で100人も殺された。その大事件の中、たった一人、生き残ったのが少年だった頃の「闇太郎」。故郷の村を離れろまん街にたどり着いた闇太郎は事件の後、幼馴染のお泪(高岡早紀)を待つ為に蜻蛉峠へと向かったのだった。
しかし闇太郎とお泪はついに会えぬまま、お泪はろまん街に流されて、今では天晴に金で囲われている身なのだった……。
って、ざっとこれが話の冒頭部分。(残りを書いたらネタバレるので、この辺りで。)

ワタクシ、恥づかしながらテレビではなく、舞台で古田さんを拝見するのは初めてなんですけど、期待以上になんかスゲー人でした。
そもそも古田さんはどちらかと言えばユニークな容姿なのに、舞台ではものすごくセクシーなのに驚愕。
今回の闇太郎、何しろ汚いわ、臭いわ、暗いわ、オッサンだわと相当なキャラ設定なのに、しまいには堤真一サマ演じる美形の冷血漢、天晴とはまた別の意味で、「アリか無しかだと、アリだな……」と思えちゃうところがスゴい。
強度を押さえているのに、存分に撓るほどの張りがあって、主演にして過不足ない存在感。出てないのに引いてない。なんなんだろうなあー。あのやり口。

そしてクドカン書き下ろしのこの話はいったいなんだったのか。
「大通り魔」ってな暗澹たるキーワードとか、「誰でも良かった」なんて「世間」に言わせつつ、しかし大通り魔が殺人鬼になったのにはそれなりの、というか、そりゃ耐えられんわ!!と思うような理由があるわけで、でも実際のところ殺戮に理由を酌量したらそらキリないわけで。
「大通り魔」とはそもそも血に餓えた悪鬼で理由以前に業がそうさせたのか。
何しろ素直に観たら分っかり易い悲劇なんですけれども、私みたいにホラ、オレは分かるぜ、とかむちゃくちゃ恥づかしいこと考える輩は、物語に埋蔵されたる真実の意味を発掘しようと、埋蔵金など最初っから無い穴をほじくっているだけなのかも知れないわけで。
クドカン的にはそれらしいアイテムを並べただけで実際、何にも考えてねーんじゃねえか?とも思ったりもするんですけど。
ただひたすら間の読み方と時代の歪みをさりげなく盛り込むことが天然自然に巧いだけだったりして……とか。
たとえそーだったとしても、時代の心をわしわし掴んで物語るのは大した才能だなあ、と思うわけなのです。
これがもしも全編マジメに演出されてたら、そらもう哀しすぎて観るに耐えられんような「ド悲劇」なんですけれど、冒頭でウ●コ喰ったり投げたりしてた闇ちゃんをフト思い出すとなんかもう、つらいのに脱力するというかなんというか。
去年やってたドラマ版「流星の絆」を見たときにも思ったんですけど、ちょっとエゲつなさ過ぎるくらいの「笑い」がクドカン流「ド悲劇」の中和剤なのかしら、と思ったわけなんです。
お泪ちゃんは、おそらく闇太郎が蜻蛉峠で待ち続けた光で、幻で、そして失った母でもあったのだろうと思うんだけど、最期にはそのかげろうをやはり掌に握ることが出来なくて……。(バレとるやん、バレとる、この書き方。)

さらに忘れてならないのは、オリジナルなのにいつかどこかで聞いたよな劇中歌の数々!今回もマジで笑死させられました。
(いや、死んだら観れんだろう。)
「親分の器」、「ヤクザ インヘブン」。
フザけるにもほどってものがあります。
花売り娘の橋本じゅん、小鳥になった橋本じゅん……。
あまつさえオジサン3人という実にグレーなビジュアルで歌われる「ヤクザ インヘブン」に至っては。
P●RFUMEのパロディ(って本家のビジュアルも大概グレーゾーンだと思うんですけどー)、というのはもう時節ネタすぎて、この作品がゲキ×シネになる頃には本家を誰も覚えてないのでは?とか思いつつ、それでもおそらく面白いに違いないのだから、そこら辺り自信を持って確信的にパロってるのか、いやいややっぱりそこまで考えて無いかもしんない……と思えるのがむしろ面白いのか。
(「貧乏って面白いPart2」も相当なもんでした。「貧乏、貧乏、Bin&BowBow~♪」ってなにこれ……まさか韻?!)

そして高岡早紀さんは超~エロい。そらもうエロ可愛い。(参る。あーれーは参る。)
着流し姿の堤真一さんの毛ズネもフェチにはたまらんものがあるでしょう。
勝地涼くんもとっても美しい子ですし、木村了くんもSoキュート!!そして何より劇団員の皆さんがやっぱり素晴らしい。
底抜けに可笑しくも、どこかしらうら寂しいパロディ音楽の数々、フルスロットルのスピード感、古田氏&堤氏の、鉄下駄と日本刀という「それ、武器としてリーチゼンゼン違うだろ!」と恐れおののくムチャクチャな立ち回り。
この不況に遊蕩三昧の己を恥じ入りつつ。
「心中に蜻蛉のように残り、現の形いずれ消えゆくもの」に趣求めるおいらには観る価値有る舞台でございました。
なんつーか、ボディブロウのように、後から効いてくるね。

と、いうわけで、OH!下劣OK、残酷シーンOKな人は「蜻蛉峠」是非観てね!などと言っても、東京公演は終わってしまいましたので、ご興味のある方は梅田芸術劇場でご覧いただければと。
(わー、すっげー大雑把な勧め方だなー。)

そうか。松竹座詣でがてらに梅芸でもう一回……というテもあったか!!と気付いてしまいました。
いや、そこに気付くな。自分。ムリだし。

明るく華やかな「蝶」と闇に浮かぶ「蜻蛉」この二つの舞台を中和させるよな都合よい卵ってのは、さすがに見つからんのではないかと思う次第でございます。

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